東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)20号 判決
原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
成立に争いのない甲第三号証及び第四号証(本願発明の明細書及びその補正書)によれば、本願発明は、水素ガスを精製するために燃料電池型の装置を利用し、約言すれば、不純水素ガスを、触媒的陽極、イオン交換膜及び触媒的陰極よりなる燃料電池型の装置に供給することにより、主として、高純度の水素ガスを製造することを目的としたものであることが認められる。
しかして、先願発明の要旨が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証(先願発明の特許公報)によれば、先願発明の目的は、主として、水素を含有する不純ガス混合物からの水素の精製を電解的に行なう方法を提供することにあるものと認められる。
(原告主張の審決取消事由1について)
前掲甲第二号証によれば、先願発明は、水素と他のガスとの混合物から、水素を分離、除去するための新規な電解的方法に関し、特に電解質含有精製用電池を用いるものであつて、電池もしくは電解装置の分野に関係するものであることが認められ、また、先願発明の明細書中には、次の記載のあることが認められる。
「本発明の一実施の態様に従えば、精製用電池は、ガス透過性容器または膜と、これに接して、(a)硫酸水溶液、アルカリ水溶液または非水性の有機電解質のような電解質、および(b)触媒剤を含有する多数の電極からなり、これからは率直な方法で組立てることができる。」(同号証第一頁右欄三三行目ないし三八行目)
「上記における電解質を例示すれば、例えば硫酸、りん酸、p―トルエンスルホン酸を含有する水溶液、水酸化ナトリウム水溶液、水酸化カリウム水溶液またはアセトニトリルに溶解した過塩素酸のような非水性電解質がある。」(同号証第二頁左欄下から四行目ないし同右欄一行目)
右を総合すれば、先願発明における「電解質」は、電極と電極との間に介在して良好な電気伝導性を示す材料を指称するものと解するのが相当である。
しかして、成立に争いのない乙第二号証によれば、電池の分野では、イオン交換膜はアルカリ溶液又は酸性溶液と同じく「電解質」として取扱われている(同号証第五一一頁右欄一四行目ないし二〇行目)ことが認められ、前掲甲第二号証によれば、先願発明の明細書には、「電解質は、触媒電極間に入れる。これには、イオン交換膜のような固体電解質も液体電解質も同じように使用することができる。」(同号証第二頁右欄五行目ないし八行目)と記載されていることが認められるから、イオン交換膜は、先願発明の「電解質」に包含されるものというべきである。そして、イオン交換膜は、イオン交換性重合体でつくられるものであるから、「重合体イオン交換膜」も先願発明の「電解質」に包含されると解すべきである。
原告は、先願発明の明細書中にイオン交換膜を使用する具体例の記載がなく、かつ、液体電解質と重合体イオン交換膜とは物理的にも化学的にも全く異質のものであることなどを挙げて、先願発明の「電解質」には「重合体イオン交換膜」は含まれないと主張する。
しかし、明細書に記載された実施例は、特許請求の範囲に記載された発明が実際上どのように具体化されるかを示すものではあるが、実施例として記載されたもののみが、その発明の範囲を画するものと解することはできない。また、前述のとおり、電池もしくは電解装置の分野では、イオン交換膜はアルカリ溶液又は酸性溶液と同じく「電解質」として取扱われているのであるから、この技術分野においては、液体電解質と重合体イオン交換膜を全く異質のものということはできない。
右のとおりである以上、原告の審決取消事由1の主張は理由がなく、審決が先願発明の「酸性電解質」には「重合体イオン交換膜」も含まれると解し、両発明におけるイオン移送媒体に差異がないとした点に誤りはない。
(審決取消事由2について)
前掲甲第二号証によれば、先願発明の明細書には、「重合体イオン交換膜」の使用例は具体的には開示されていないことが明らかである。先願発明の明細書中には、前記のとおり、「電解質は、触媒電極間に入れる。これには、イオン交換膜のような固体電解質も液体電解質も同じように使用することができる。」との記載があるが、これだけでは「重合体イオン交換膜」の使用が具体的に示されているとはいえない。
そこで、本願第一発明と先願発明との作用効果上の顕著な差異として、原告が主張する各点について検討する。
(1) 耐圧力性能
成立に争いのない甲第七号証によれば、供給ガス側と生成ガス側との間に圧力差を設けると、先願発明のもの(同号証におけるレインジヤー電池)は圧力差が一〇psigでガスの漏洩が生じ、圧力差が一三psigになると一分間に四二ccのガスの漏洩があるのに対し、本願第一発明のもの(同号証におけるGE膜電池)は圧力差が六〇psigになつてもガスの漏洩量は一分間に〇・〇一九ccであつて、実質的なガスの漏洩はなく、先願発明と本願第一発明との間に、右の現象における差異のあることが認められる。
しかしながら、本願第一発明も先願発明も共に、その発明の目的、構成及び前掲甲第二号証ないし第四号証によつて認められる作用効果に照らすと、水素ガスを精製するに際し、供給ガス側と生成ガス側との間に圧力差を設ける必要はないというべきであるから、本来必要でない圧力差を設けた場合の優劣をもつて、本願第一発明と先願発明との間に効果上顕著な差異があるとすることはできない。
(2) 得られる水素の純度
前掲甲第七号証によれば、本願第一発明のもの(同号証のGE膜電池)によつて生成する水素ガスの純度は九九・九%ないし九九・九九%であることが認められる。他方、前掲甲第二号証によれば、先願発明のものによつて生成する水素ガスの純度は九八%ないし九八・五%であると認められる(同号証第四頁右欄一四行目ないし一六行目及び同欄下から六行目、五行目)。
そして、ガスクロマトグラフイによるガス分析の分野や、半導体の製造の分野においては、極めて高い純度の水素ガスが要求されることは技術常識上みやすいところであるから、本願第一発明と先願発明とにおける生成する水素ガスの純度の差、すなわち九九・九%と九八・五%との差は、本願第一発明における不純物の含有量が先願発明における不純物の含有量の一五分の一であることを意味し、両発明の効果上の顕著な差異ということができる。
(3) 電力消費量
前掲甲第七号証によれば、同じ電流密度(同じ量の水素の生成を意味する。)を生じさせるために必要な電圧は、本願第一発明のもの(同号証のGE膜電池)が先願発明のもの(同号証のレインジヤー電池)の約二分の一以下であることが認められる(同号証訳文第一五頁の表において、電流密度二〇〇ma/cm2を生じさせるために必要な電圧は、レインジヤー電池では〇・三ボルトであるのに対し、GE膜電池では〇・一三ボルトであり、これは〇・三ボルトの約四三%に当る。また、電流密度六〇ma/cm2を生じさせるために必要な電圧は、レインジヤー電池では〇・一一ボルトであるのに対し、GE膜電池では〇・〇六ボルトであり、これは〇・一一ボルトの約五五%に当る。さらに、同訳文第一七頁の表において、電流密度二〇〇ma/cm2を生じさせるために必要な電圧は、レインジヤー電池では〇・三ボルトであるのに対し、GE膜電池では〇・〇八ボルトであり、これは〇・三ボルトの約二七%に当る。また、電流密度六〇ma/cm2を生じさせるために必要な電圧は、レインジヤー電池では〇・一一ボルトであるのに対し、GE膜電池では〇・〇五五ボルトであり、これは〇・一一ボルトの五〇%に当る。)。そして、電力と電圧及び電流との関係は、(電力)=(電圧)×(電流)の関係にあるから、一定電流の下では、所要電圧が小さい程、電力は少なくて済むことになる。したがつて、同じ電流密度を生じさせるために必要な電圧が本願第一発明のものは先願発明のものの約二分の一以下であるということは、電力の消費量も本願第一発明のものが先願発明のものの約二分の一以下であるということになる。右の差異は、両発明の効果上の顕著な差異ということができる。
ところで、前述のとおり、重合体イオン交換膜を使用して水素ガスの精製を行なうことは、先願発明に包含されているのであるから、先願発明が存在する以上、本願第一発明は原則として先願発明と両立しえないものである。
このような場合、例外的に、本願第一発明がいわゆる選択発明として別に特許され、先願発明と両立しうるためには、本願第一発明と先願発明との間に、単に作用効果上の顕著な差異があるということだけでは足りず、少なくとも、本願発明の明細書中に、先願発明の明細書において全く教示するところのない顕著な作用効果が直接的に開示されてなければならない。換言すれば、本願発明の明細書中に、本願第一発明と先願発明との具体的な作用効果上の顕著な差異が直接明瞭に記載されていることが必要であるというべきである。
前掲甲第三号証及び第四号証によれば、本願発明の明細書中には、本願第一発明により得られる水素ガスの純度について直接数値を挙げて記載している個所はない。ただ、従来の水素精製法では「高純度水素、すなわち少なくとも九九・五%の水素ガスを含むガスを製造するには一回以上の処理が一般に必要である。」(明細書第二頁九行目ないし一二行目)とその欠点を指摘し、これを受けた形で、「本発明の方法を使用することにより、これらの困難は解決され、しかも水素精製が可能である。」(同第三頁下から四行目、三行目)と記載されているところから、本願第一発明によれば一回の精製処理で純度九九・五%以上の水素が得られるものと推測できるにとどまる。また、電力消費量についても、本願発明の明細書中には、「この燃料電池型装置を水素処理に用いるとき、低エネルギー消費のために費用節約が実現できる。」(同第一三頁二行目ないし四行目)、「これは一〇〇〇〇立方呎当り五三キロワツト時という非常に少ない電力消費量に相当し、この処理系においてはこれが唯一の必要電力なのである。」(同一三頁下から二行目ないし第一四頁二行目)の記載があるにとどまる。
右に検討したところによれば、本願発明の明細書中には、本願第一発明と先願発明との具体的な作用効果上の顕著な差異が直接明瞭に記載されているということはできない。
そうであれば、本願第一発明は、先願発明に対していわゆる選択発明として別に特許されるべきであるとの原告の主張は、採用することができない。
よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨および審決理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨
1 重合体イオン交換膜を介して触媒的に活性な陰極とイオン伝導的に組み合わせた触媒的に活性な陽極と水素含有ガス流を接触せしめ、両電極間に電位差を確立せしめ、陽極でガス流から水素を水素イオンに変換せしめ、水素イオンを陰極で重合体イオン交換膜から水素ガスに変換することを特徴とする比較的純粋な水素を得る方法。
2 重合体イオン交換膜を介して触媒的に活性な第二の対向電極とイオン伝導的に組み合わせた第一燃料電池電極と水素含有化合物を接触せしめ、両電極間に電位差を確立せしめ、対向電極から比較的純粋な形で水素ガスを回収することを特徴とする触媒的作用を受けて水素を放出する水素含有化合物から比較的純粋な水素を得る方法。
本件審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
これに対し、本願発明の原出願の優先権主張日前に特許出願された特願昭三九―一五五六〇号の発明(昭和三九年三月二三日出願、特許出願公告昭四三―九六四六号、特許第五二八八三四号。以下、「先願発明」という。)の要旨は、次のとおりである。
「水素と他のガスとの混合物から電解法により水素ガスを選択的に他のガスから分離して精製する方法において、その間を酸性電解質で互に分離された正の触媒電極と負の触媒電極とを含有する帯の正電極側に、上記不純なガス混合物を通す工程、上記不純な水素ガスをイオン化するのに必要とする電圧以上の電位差を前記の帯に負荷する工程、イオン化した水素を電解質を通じて正の電極から負の電極に通す工程、上記負の電極において水素ガスを再生する工程、及び他のガス不純物を含有せぬ実質的に純粋な水素ガスを回収する工程からなることを特徴とする水素ガスの分離精製法。」
第一番目に記載された本願発明(以下、「本願第一発明」という。)と先願発明とを対比すると、その構成は、正負の両触媒電極間に介在させるイオン移送媒体が、本願第一発明では重合体イオン交換膜であるのに対し、先願発明では酸性電解質である点で相違するのみで、その他の点では両者の間に特に異なるところはない。そして両発明の目的も同じであり、その作用、効果においても格別の差異は認められない。
そこで、イオン移送媒体の相違について検討すると、先願発明の明細書に「電解質は触媒電極間に入れる。これには、イオン交換膜のような固体電解質も液体電解質も同じように使用することができる。」と記載されており、イオン交換膜として重合体イオン交換膜は普通に使用されているものであるから、先願発明の酸性電解質には重合体イオン交換膜も包含されていると解される。したがつて、前記のイオン移送媒体には差異は認められないから、本願第一発明と先願発明とは同一といわざるをえない。
右のとおりである以上、本願発明は特許法第三九条第一項の規定により特許を受けることができない。